【画像】117系京都車
2023-7-25 5時掲載開始
関西地方で育った私としても、JRの「117系」は、これまでにも何度か乗車しました。当時、小学校低学年自分は、大阪市内在住、京都・滋賀在住の親戚に行く時は、新快速の利用が殆どもありました。
たまたま当時は、国鉄がJRになった数年後の頃ですので、「新快速」の花形車両というイメージでしょうか? その後登場の221系は、在住地の奈良引越もありまして、個人的には、新快速よりも、「大和路快速」というイメージが強いです。
当時の新快速は、高槻や芦屋は通過の時代でしたので、京都-大阪間、乗車券代のみで30分のサービスというのは、私鉄王国関西ならではの、国鉄時代「何とかしたい」という現れを、これまでの歴史を振り返っても感じます。
山陽新幹線と大阪環状線以外の路線は、JRに変わる頃は、全て赤字線区とも言われた時代に、この新快速はそれでも、私鉄対抗という考え方もでしょう。全国標準、何処にでも走られる車両が多かった国鉄車両に、その地域での独自形式は、特別だったのではと思われます。
JR化後、117系車両は、東海、西日本会社と引き継がれましたが、現在に渡る東海道線、名古屋圏と関西圏の新快速輸送の基礎と言いますか、大きな役割を果たした系列・車両と言えます。
もっとも、JR化後は、2ドア、最高速度110km/hから、221系、311系の3ドア、120Km/h時代と比較しても、性能の差と、輸送力は影響し、西日本会社では福知山線、湖西線、草津線など、JR神戸線、JR京都線、JR琵琶湖線と、枝分かれする路線を始め、奈良線、和歌山線、紀勢線、そして、岡山方面、下関方面などと、花形列車・線区の運行からは外れています。
先日、最後まで残った岡山管内での117系営業運転が終了と、車両の寿命自体は、40年にもなり、意外と長いものでした。体質改善工事は実施されず、比較的最後まで、座席の一部ロングシート化以外は、大がかりな工事はされませんでした。ただ、寝台車両改造で、117系「銀河」車両を生まれたのは、前例のない新しい旅行の提案として、形が変わって、運行は続くことになります。
「思い出」と言えば、大雨での新快速運行時でも、扉の隙間から雨水が侵入し、床が水浸しになったことや、走行音、そして、東海地区での運転でしょうか?
モーター音のうるささなどは、113系と115系と余り変化はありません。やはり、内装の違いで特徴的な、117系車両でしたね。
特に、小学生高学年にもなれば、学校の仲間と一緒に、当時登場した、近鉄特急アーバンライナーの初乗車を兼ねて名古屋に行き、名古屋城などに行った後、帰りは在来線鈍行となりましたが、その時に乗った名古屋圏快速も117系でした。西日本区間の新快速も117系だったかは、記憶が薄れてしまい…。
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【画像】末期の東海117系
余剰車両の活用で、S9編成に「(富士山)トレイン117」もありましたが、既に、Z編成の新製時期でした。御殿場線や飯田線、中央線の乗り入れも存在でした。東海管内電化線区の殆どは、既に走行でしょうか?
◆東海117系について
手元に、鉄道ダイヤ情報2008年2月号があります。「117系185系」特集号です。当サイトで、東海運用表を掲載していることもありまして、この機会に、資料の引用を含めて、色々とお伝えしたいと思います。
関西は、元々、草津-西明石間で複々線に、新快速自体も、117系の以前から運行でしたので、1986/11月改正で、大阪管内で外側走行が解禁になる「内側走行のみ」な時代でも、それなりにダイヤ・列車も存在し、普通列車でも、201系が7両32編成、205系も山手線と同時期に、4編成の新製配置と、そんなに悪くはありませんでした。(外側線は本社、内側線は大阪管内の管理だったようです)
ところが、名古屋圏の東海道線は、散々たるダイヤ、当時の時刻表を見ても、長距離列車が殆どで、今のような快速列車は殆ど無く、電車のダイヤ自体、決して本数が多くはなかったのです。
この改善を図ろうとしたのが、現在はJR東海相談役の須田寛氏、初代社長を歴任し、現在もご存命の方ですが、名古屋鉄道管理局時代での「PLAN80」が有名です。これは、現在でも通じる、名古屋圏内の輸送改善をまとめた計画のようで、本にもなっていますから、公共図書館で探せば、出てくるでしょうか?
117系の新製配置、211系の登場、ダイヤの増発は成功ともいえますが、中には、完成せずに高架橋放置、頓挫した南方貨物線計画や、2032年度までJR東海が支払う貸借料発生の城北線(有価証券報告書43p参照、約40億円)で、城北線-稲沢の短絡線(グーグルマップを見れば不自然な土地が存在する)に、勝川-高蔵寺の複々線化の断念など、時代背景や、建設費用償還、オーバーな計画等で実現しなかった内容もあります。
(※言い替えれば、賃借料を億単位で支払いを続けている、城北線の2033年度以降は、完全にJR東海の持ち物にはなるので、この頃、どうなるかがポイントとも言えます)
既存路線のダイヤの増発と、現在に至る輸送体系の基礎は、この計画のお陰であると言えます。
中央線は当時でも103系が転属車ながら、1977年から10両編成も存在(10両自体はそれ以前から存在の模様)し、私鉄と並行しない独占路線もあってか、こちらの方が、電車の列車本数は元々から多かったようですが、一時期は、117系が中央線でも運行があったようです。
結局、元々から東海道線と乗客の量が違うのか、程なくして117系は撤退、東海道線にシフトされたようです。関西線は、1982年の電化直後も、165系や113系だったようです。
東海地区の117系投入は、1982年5月、東海道線で6両9編成からとありますが、これだけでも当時、結構なインパクトがあったようで、1986年11月改正で、先頭車だけを増備し、編成を折半、4両18編成に組成替えて、編成を倍に増大という方法で、列車も増発となります。
【画像】現在の主力、313系
213系は2013年では既に飯田線車両
◆日中の快速系統の運用はさほど変化していない
当時の117系運用で、予備1として17運用ですと、日中、15分毎での豊橋-大垣快速系統では充分な運用数、これは、現在でも、余り変化しません。
現状のダイヤも含めて、運用の関係もあってか、途中で大垣車両区に入る運用や、8両ばかりではなく、一部で6両運用も存在しますが、平日は、ざっと16運用(日中車庫に、6両5運用含む)、土休日は15運用(6両4運用含む)で、快速系統の運用を賄っています。
願わくば、現状、日中の快速運用は全8両運用、日中の普通運用は全4両運用でも充分可能ですが、どうしても6両運用は存在します。普通の6両は日中では過剰もありますので、混雑しがちな快速系統の8両化は、やれそうにも、現状では完全ではありません。
それでも、日中快速で、最低15運用は必要という感じでしょう。過去、311系と313系4両の新製編成数(各15編成)や、Y101~Y117編成の、6両17編成の313系配置も、新製編成の数としては、納得はします。
以前は運用途中の分割併合もあり、やや複雑や車両運用でしたが、これを少なくさせてますし、お陰で、2022年3月改正から、8両固定運用の登場にもなっています。今後も、やむを得ずという一部運用を除いて、運用、編成は、可能な限り、固定化の方向でしょう。
【画像】宿泊していたアパホテル大垣駅前から撮影な、117系(海側)
先頭車を1986年に増備して4両18編成化なため、窓のデザイン、台車の差異など、車両の仕様が一部異なるのが分かる。
◆2007年頃の117系運用
その後、211系、311系の増備、1999年の313系となりますが、313系登場時は、昼間、4両が新快速、2両が大垣-米原という運用だった記憶があります。
大垣-米原間の2両は、青春18きっぷのシーズンとなれば、特に混雑、満員となってしまい、大垣から乗り換えた新快速も4両でしたので、大垣の時点で満員も当たり前でした。普通は211系3両と、短編成の時代、流石にラッシュ時は8両編成でしたが、定期券所持でほぼ毎日利用する地元乗客には、苦労だった所もでしょうか?
新しい車両が作られるにつれ、117系は朝夕、日中は、あっても浜松-豊橋、大垣-米原間と、昼間は殆ど運行がなく、専らラッシュ時の専用車両となっていました。
「117系185系」特集号は、2007/9/8ダイヤ改正の、117系運用【下記】が掲載されておりました。以下、この引用です。
時刻等は割愛、当時の時刻表と併せてご覧下さい。
2007/9/8ダイヤ改正-平日運用
A151:大垣-2506F前-回305F後-大垣
A152:大垣-600F後-2600F後-929M-豊橋留置-179F前-回179F前-241F前-234F後-大垣
A153:大垣-201F前-2500F後-回2500F後-熱田留置-回2533F前-2533F前-米原
A154:米原-2510F後-回2510F後-熱田留置-回2535F前-2535F前-246F後-249F前-米原
A155:米原-2504F後-回2504F後-熱田留置-回2531F前-2531F前-242F後-247F前-米原
A156:米原-2508F後-回2508F後-大府留置-1104F後-回307F前-熱田-回2537F前-2537F前-大垣
A157:大垣-2506F後-回305F前-211F-206F-大垣-245F-238F-大垣
A158:大垣-回114F-114F-回310F-岡崎
A159:岡崎-109F-204F-215F-210F-223F-218F-231F-226F-239F-232F-大垣【昼間大垣-米原】
A160:大垣-600F前-2600F前-931M-938M-937M-976M-975M-982M-989M後-豊橋【昼間浜松-豊橋】
A161:豊橋-930M前-925M-936M-浜松留置-965M-972M-973M-980M-989M前-豊橋
A162:豊橋-930M後-137F-岡崎留置-187F-名古屋
A163:名古屋-108F-927M-豊橋留置-179F後-回179F後-241F後-234F前-大垣
A164:大垣-201F後-2500F前-回2500F前-熱田留置-回2533F後-2533F後-米原
A165:米原-2510F前-回2510F前-熱田留置-回2535F後-2535F後-246F前-249F後-米原
A166:米原-2504F前-回2504F前-熱田留置-回2531F後-2531F後-242F前-247F後-米原
A167:米原-2508F前-回2508F前-大府留置-1104F前-回307F後-熱田-回2537F後-2537F後-大垣
A151に戻る
17運用18編成予備1
日中も動く運用は2運用しか無く、殆どが朝夕のラッシュ時のみとなります。浜松1、豊橋2、岡崎2、大府2、熱田6、大垣2の、15運用も日中の運用がなかったのです。
2008年当時で、Y101~Y112編成が既に存在し、昼間の快速系統が4→6両編成に、既に増大となっています。この新製で、現在の静岡車211系、LL1~LL20は元々大垣車(3両20編成60両)でしたが、静岡転属は、Y101~Y112編成(6両12編成72両)新製と同時期でした。両数的には+12両の増のみだけです。
それまで快速系統メインだった、Y1~Y16編成などの313系の一部と、311系がその分、日中の普通系統にシフトし、211系の静岡転属の穴を補充、普通でもトイレが設置という、当時の運用変更のパターンでしょうか?
Y101~Y112編成(6両12編成72両)--211系静岡転出、静岡での113系置き換え用
【画像】大垣車両区
日中の留置は117系が殆どでした。夜間はほぼ満杯となる留置線も、朝のラッシュ時、大垣車の予備車が、全体で20両と限られていることもあり、ガランガランの状態となります。
続いて、土休日運用の引用です。
2007/9/8ダイヤ改正-土休日運用
A151:大垣-3209F-3212F-3217F-3220F-大垣【昼間大垣-米原】
A152:大垣-3600F後-5600F後-5929M-豊橋留置-3179F前-回3179F前-大垣
A153:大垣-3225F前-米原(夜間21時のこれのみ)
A154:米原-3204F後-大垣留置-3229F前-米原
A155:米原-3200F後-大垣留置-3227F前-米原
A156:米原-5602F後-3602F後-回3313F前-熱田留置(下3または下2)-回5519F前-5519F前-大垣
A157:大垣-3211F-3214F-3219F-3222F-4217F-4216F-4219F-4218F-4221F-4220F-大垣【昼間大垣-米原と美濃赤坂線】
A158:大垣-回3114F-3114F-岡崎
A159:岡崎-3109F-大垣-3213F-3216F-3221F-3224F-大垣【昼間大垣-米原】
A160:大垣-3600F前-5600F前-931M-豊橋留置-5982M-浜松留置-989M後-豊橋
A161:豊橋-930M前-925M-5936M-浜松留置-965M-972M-973M-980M-989M前-豊橋
A162:豊橋-930M後-3923F-3143F-岡崎留置-3187F-名古屋
A163:名古屋-3108F-3920M-浜松留置-5951M-3179F後-回3179F-大垣
A164:大垣-3225F後-米原(夜間21時のこれのみ)
A165:米原-3204F前-大垣留置-3229F後-米原
A166:米原-3200F前-大垣留置-3227F後-米原
A167:米原-5602F前-3602F前-回3313F後-熱田留置(下3または下2)-回5519F後-5519F後-大垣
A151に戻る
浜松2、豊橋2、岡崎2、熱田2、大垣6の、14運用も日中の運用なしでしたが、特徴なのが、美濃赤坂線の運用が存在したことです。
現在のように、313系R100・南部編成のみの充当ではなく、また、ワンマンでもありませんでした。また、名古屋方面からの直通列車も当時は存在でしたので、運用上の都合で入っていたようです。311系や313系でも入線実績があったようですし、確か、早朝、名古屋始発の列車が、2両編成で美濃赤坂行普通だったと記憶しています。飯田線でもY30代編成が、朝は新城までの運用があった記憶です。
名古屋は、現在のような車両区は、当時は非電化でしたので、駅構内に存在した留置線となります。「西留4、西留5」と、新幹線側に存在していた留置線とみられますが、現在は、リニア中央新幹線の工事による用地確保で、一時的に撤去となっているようです。
同じ「117系185系」特集号では、岡山117系の運用も掲載(詳細は割愛します)ですが、5運用存在も、岡山-福山間のサンライナーを中心に、三原、伯備線などと、日中も動きっぱなし、下関車、京都車も、ほぼ同様でした。
紀勢線運用に、和歌山線は、当時存在していた阪和連絡線(久宝寺~杉本町)の線路磨きも含めて、日中も存在していましたので、動きっぱなしな西日本車に対し、東海車の車両運用の差は明らかです。
その後、2013/3月改正まで、段階的に、東海117系は営業運転終了、313系の新製も一段落となっています。
Y113~Y117編成--6両5編成(2010~2013)
Z1~Z5編成--2両5編成(2010~2013)
J1~J7編成--4両7編成(2010/10頃)
30+10+28=68両新製--117系置き換え用
117系4両18編成=72両廃車
このような具合となるでしょう。4両編成は7編成のみとなり、6両固定に、2両物の登場で、日中快速の6両固定編成化となっています。
尚、J8~J10は、神領車(B517~B524)と共に、2015年の武豊線電化用(28両、これまでのキハ25系26両が美濃太田転出)となりますので、それぞれ、新製配置となった目的が異なります。
このように、東海は西日本よりも10年早く、117系が廃車となりましたが、現在、313系を中心に、現在でも、東海道線名古屋圏輸送の主力となっています。117系時代での、日中留置が稼働の傾向となり、結果的に、6,8両の日中運転によって、快速系統の編成も増大しています。
特に、「全体的に、性能がほぼ揃った車両で揃う」のは、車両運用上、輸送上でも、やはり大きい、ということになりますかね。
【画像】10年前の西浜松、廃車置き場
当時は国鉄型車両でしたが、今や、キハ85、211系、311系と、JR化後に登場した車両がその出番となってしまう…。
【画像】岡山の117系は雑多な画像しかありませんが…。
◆今後
117系は岡山での営業運転を終了し、長く続いた、117系車両の輸送の役割は、「銀河」以外は、果たしたことになります。既に、227系「Urara」の営業運転は、7/22から開始されています。
岡山管内は、元々から、番代を含めて、色々と車両の車種が多かった地域ですので、予定の101両分以外にも、今後、予算を組んでは、113系、115系など、国鉄型車両を置き換えることになるのでしょうか?
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