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【画像】373系「ムーンライトながら」時代
始発駅東京も、乗客で賑やかです。

2021-1-23 6時掲載開始

“春”の臨時列車の運転計画について846.7KB

「ムーンライトながら」の廃止(正式には「終了」も、廃止でしょう)が、正式決定となりました。この臨時列車プレスの記載となります。


臨時の快速「ムーンライトながら」につきましては、お客さまの行動様式の変化により列車の使命が薄れてきたことに加え、使用している車両の老朽化に伴い、運転を終了いたします。

時代の変化、車両の老朽化、もですが、やはり、コロナ、全部コロナのせいでしょう。

但し、晩年はJR東日本所属の185系で、臨時列車として運行でした。元々、165系で運転されていた頃は、「375M,372M」でしたでしょうか、165系11両編成で運転されていた、夜行の普通列車でした。

中学生の時に、この上りの165系に乗ったことがあります。指定席ではなく自由席、1994年3月上旬でしたか、よく憶えております。11両編成で真ん中2両は、グリーン車だったような感じです。
(東京方から、クモハ165-モハ164-クハ165++クハ165-モハ165-モハ164-サロ165-サロ165-モハ165-モハ164-クハ165)

中学生当時から、アマチュア無線をしていた関係で、従事者免許と局免許も持っておりましたから、ケンウッドのTH-78という機種を持参し、列車無線を傍受するほどでした。

当時は現在の機種と異なり、空線信号をカットする機能・製品はありませんでしたので、2280Hzの音である「ピー」という音をずっと、イヤホンで聞きっぱなしです。

それでも交信は幾度かあり、名古屋手前で、前の列車が遅れていたのか、その関係でしたでしょうか。手前で数分か止まったような記憶があります。

他は、ウォークマンのラジオ機能、AMの民放ラジオは雑音が多かったですが、NHKラジオは、比較的は感度が良かったです。当時からラジオ深夜便がありました。


JR時刻表 2021年2月号
交通新聞社
2021-01-25

JTB時刻表2021年2月号
ジェイティビィパブリッシング
2021-01-25



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【画像】373系コンパートメント
きっぷでは別列車扱いとなり「ムンライトながら(コ)」でしたか。4名や8名のグループで乗る分は問題ない座席ですが、関係ない乗客同士ですと、ひたすら拷問です。リクライニングも不可です。


どのような運用だったかは不明ですが、東京方3両は、一部、大垣-米原間での普通列車もありました。
1995年12月のJR時刻表と、1995年夏号の電車編成表にある記載をまとめます。
(下記、他の時刻表も含めて、手元の時刻表、本などからの引用です)

8両3編成、4両4編成---急行東海・大垣普通
4両5編成---急行富士川

★3両編成は、325M,375M,304M,372Mの東京方に連結して11両で運転する
また、3両編成は427M,432Mの大垣-米原間でも運転する
★8両運転は、301M,303M,302M,366M

グリーン車自由席
372M 大垣22:40→東京4:42
325M 東京5:46→静岡9:09
302M 静岡10:29→東京12:57 8両
303M 東京13:35→静岡16:06 8両
366M 静岡19:34→東京22:39 8両
田町電車区
301M 東京7:15→静岡9:53 8両
静岡車両区
304M 静岡16:54→東京19:30
田町電車区
375M 東京23:40→大垣6:56
大垣車両区
433M 大垣8:28→米原9:04---427Mは名古屋始発となるため、電車編成表の誤植とみられ、この列車か、2523M(大垣8:09→米原8:44)ではとみられる。
432M 米原10:48→大垣10:20

このような運用とみられ、8両予備1、3両予備2のようです。

373系は、グリーン車をなくした、3両14編成となりました。グリーン車とそうでない編成とで、それぞれ予備車がありましたが、これを一本化しています。

その、373系置き換え後、2002年4月の手元のJR時刻表からです。
372M 大垣23:09→東京4:42
323M 東京5:20→静岡8:27 
366M 静岡19:34→東京22:39
375M 東京23:43→大垣6:56
375M名古屋で後3両分割、8280F(ホームライナー豊橋2号)となり、特急伊那路送り込みではとみられる。


165系時代は、グリーン車の連結もあり、大垣車両区では大垣普通以外の運用はなかったような記憶があります。3両で、ラッシュ時に大垣-米原の応援があった模様ですが、余裕のない大垣運用にも、2ドアに急行仕様の車両故か、充当はありませんでした。

373系以降でも、大垣-米原の普通列車はありました。現在とは異なり、車両運用には余裕がなく、117系もありましたから、合間の普通列車がままあったように思います。

列車番号はダイヤ改正で変わったりしますが、基本的な流れは余り変わっておりません。

ムーンライトながらの前後は、静岡発、静岡行の普通となりましたので、夜行だけでなく、早朝、夜間と、373系時代になっても「乗り得」列車でした。373系以降は、グリーン車のマークがありませんでしたので、時刻表からも判別が出来ました。

これが、2009-3-13改正で183/189系化、2013年12月から185系に、最後の運転は2020年3月29日の大垣発でしょうか、コロナで運転設定なし、2021ダイヤ改正で列車が消滅となります。
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【画像】登場時のE257系(右)
あずさ・かいじから、踊り子方面へと、機器更新にリニューアルの上、転用に。

▼E257系での「ムーンライトながら」にもならず
特急踊り子が、松本車両センターから、大宮転入されたE257系での充当に、この春で変更となりますが、E257系での「ムーンライトながら」は幻となりました。

★駅の夜間開放と人件費コスト
東海も、これまでの東日本車の充当から、元々夜行列車の運転には消極的だった感じがします。
2020/3月、東海区間での晩年の時刻表をまとめてみます。

9391M 沼津1:07/08-静岡1:48/50-浜松2:46/3:02-名古屋5:09/11-岐阜5:32/34-大垣5:45
9392M 大垣22:48-岐阜22:58/59-名古屋23:18/20-豊橋0:15/08-浜松0:46/55-静岡1:52/55-沼津3:07/21

沼津、静岡、浜松で、1:07-08/3:07-21、1:48-50/1:52-55、2:46-3:02/0:46-55と、夜間に駅を開放する必要がありますから、まず、駅係員や警備員の人件費、警備費用の削減が考えられます。

但し、浜松は5031Mで1:11/12、静岡は5032Mで4:38/40と、サンライズエクスプレスの乗客扱いが存在しますので、浜松の上りは、元々から駅の閉鎖が遅くなります。


★コロナ故の「密回避」
混雑しがちだったムーンライトながら、満席の場合は、密となり、コロナ対策としては回避したい所です。まあ、今思えば、密ですね。


★乗客も「乗る目的」が薄れた
夏や大晦日前の「コミックマーケット」では、一般の乗客の利用も多くありました。そのコミケのコロナで開催がなく、東海道新幹線ですら、乗客減、臨時列車の設定をしても乗客が見込めない状況になった。ということでしょうか。


★車両の置き換え
185系は国鉄型車両、東海管内で唯一、ブレーキハンドルを持ち歩く列車となりました。他の列車はキー式で統一となり、ハンドルの持ち歩きがなくなりましたし、わざわざE257系に置き換えてまで運転も、乗務員の教習コストで必要となります。

東日本車を東海車に置き換えても、373系の運用は現状でも、既に静岡方面での普通列車を含めて、運用変更の必要があります。いずれにしても、この、車両置き換えのタイミングでの廃止・終了となりました。

05-05-12-03【画像】車内で公衆電話もあった373系
今となればWi-Fi、コンセントでしょうか。

▼もし、「ムーンライトながら」を復活するとしたら……
もし、今後復活も、東海管内のみで運転は一つの案ではあります。

沼津0:37着 1635E-337M(宇都宮20:24-東京22:22)
三島23:39着、こだま815号(273M、三島23:47-沼津23:52)

下り、沼津から大垣または豊橋まで、現状、ほぼ9391Mスジで運転

上り、豊橋または大垣から沼津まで運転
沼津4:55発、1420M熱海行、熱海5:14着
熱海5:18発、1826E高崎行(東京7:17着)

即ち、自社管内で運転するという案です。

豊橋発着の場合、現状373系運用で、
977M 浜松19:48-豊橋20:22
914M 豊橋6:21-浜松6:56
この運用で、豊橋下13留置の6両運用が存在します。

沼津でも、4378M-翌4371M前,4380M-翌4371M後(土休4378M-翌5371M、及び回送-翌5371M)の、沼津留置6両運用が存在します。
4378M-沼津21:01着
4380M-沼津22:15着

4371M-沼津6:55発(5371M-沼津7:30発)

この、夜間留置を、夜行列車として運転をさせる訳です。

豊橋で乗換の手間がありますが、914M-913M(豊橋6:21-浜松-豊橋7:43)を、373系から313系に変更、豊橋駅出区が遅い運用である、現状、2509F(豊橋7:39発、土休の場合は5113F,9:21発、313系5000番代の最初の運用)に変更となれば、下りを名古屋止でも、対応出来る範囲ではあるでしょうか。

平日豊橋で2509Fは、米原方に2両連結となります。7:43-49着ですので、6分間の扱いでしょうか。

ただ、復活も毎日運転する必要はなく、金→土、土→日など、到着時点で土休日ダイヤ限定でしょうか。土休ダイヤですと、5113Fの豊橋発が9:21発と遅いため、914M-913M充当も余裕があり、6両のまま、9391Mダイヤを踏まえて、下りは大垣にも行ける範囲です。(大垣→豊橋は、ひとまず回送として考える)

上りの豊橋入区は、20:22と早いため、名古屋か大垣に回送、9390Mスジ(大垣発22:48)を、1時間程度遅くして沼津4時台着、上述、ということです。

仮に、三島-大垣間の運転として限定ですと、289.3キロ、熱海の場合も305.4キロになります。

快速としての運転ではなく、「臨時特急としての運転」もでしょうか? 快速指定席券は530円と乗車券だけですが、特急ですと、A特急料金となり、指定席で2950円(300キロまで)、3170円(400㌔まで)に乗車券となりますので、単純比較で5~6倍の収入増にはなります。


しかしながら、この案は中途半端過ぎます。要するに、復活はないでしょう。やっぱり、東京-大垣間となりますね。若干の可能性は、315系登場後で373系の運用に余裕、そして、コロナ次第でしょうか。

やはり、「ムーンライトながら」の定期列車として消滅した、2009-3-13改正以降、消滅する運命でしたでしょうか。むしろ今まで、臨時列車でもよく残った感じがします。
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【画像】373系車内
ながらの運転時でも、枕カバーはあったような記憶があります。よく憶えておりません。


▼ムーンライトながら、思い出話
20代の頃、何度も利用しましたから、色々と記憶が蘇りました。


★乗務員室のカーテンで、会社境の差が歴然
373系時代、1号車の前方、通路側の座席を利用したことがありました。JR東日本区間では、夜間となりますから、デッキの仕切り扉がない373系ですと、夜間の前面展望のカーテンが全て閉まります。夜間での走行ですので、安全運転確保としても当然でしょう。

熱海で、東日本から東海乗務員へと交代になりますが、その時、全てのカーテンが開いたのです。深夜になりますから、室内灯の光で運転に支障だろうと思いましたが、どうも、「夜間でも開ける決まり」なのでしょうか?

JRの主流組合で、労働組合の内部に「箱根から東」「箱根から西」という言葉があります。北海道・東日本・貨物の総連系、東海・西日本・四国・九州の連合系となります。

この境目が、熱海駅となりますが、会社境駅の東西で、こうも違うのかと思った次第です。直江津駅、現在では、北陸新幹線の長野駅となりますが、それとはまた異なる雰囲気です。明らかに何かが違います。それを実感した出来事だと感じました。

お陰で、寝付けない深夜に、暇つぶしが出来ました。当然ながら、それに気が付いた他の乗客も、デッキにやってくるほどです。どこを走行しているのか、対向列車は、などと、本当に飽きませんでした。2002年や2004年当時は、携帯電話も今と異なり、それ程弄ることも、多くはなかったような覚えです。


★熱心すぎる鉄道ファンが、プロの乗務員に「クイズ」
鉄道ファンらしい男性が、車掌さんに色々と話、聞いてみますと、自分の鉄道知識を、プロの車掌に向けて「クイズ」というもの、流石の車掌さんもただただ呆れ顔でしたが、車掌さんも、下りの検札の殆どが東日本区間で、東海区間では限定的で、車内巡回も余裕があるのか、面倒な客の付き合いをされていたようでした。

車掌さんのサインや撮影も、よくあるようで、深夜勤勤務でも相当な苦労も窺えます。もしかすると、深夜勤の割増手当等があっても、乗務上では「ハズレ列車」だったかもしれません。(夜間故の、キセル、家出、迷惑行為対応もあったものとみられます)


★豊橋以西は始発列車と兼ねている
下り列車での定期列車の373系運転時代は、豊橋発が4:22-56発と、早い部類でした。時刻表を見ても、豊橋から、8両限界駅故に、9両編成のために、通過をした、三河塩津と尾頭橋以外の各駅に停車するダイヤでしたので、「始発列車」を兼ねた列車でした。

現在の平日307Fと同じ具合となりますが、307Fは岡崎始発(5:16)です。当時は5:25発でした。名古屋6:05発は、現在の6:04と比較も変わりありません。豊橋-幸田(現在は相見だが、当時は幸田)間は、現在の2901Fが始発となり、遅くなってます。

9両編成で、下りは、小田原から4-9号車は自由席、前3両は名古屋まで指定席でした。18きっぷシーズンは、4-6号車だけ名古屋まで指定席、従って、7-9号車のみ自由席となりますが、当然、既に満席の場合が多く、始発列車でも立ち席多数でした。

名古屋からはすべて自由席となりますが、18きっぷ以外のシーズンでも、まあまあ混雑する列車の可能性があります。特に、313系5000番代が登場する前は、117系は朝夜のみで、車両運用に現在と異なる制約があって、厳しく、両数も、4両新快速も多くありました。

上りは、現在の2706Fよりも、やや早い、大垣23:09発でした。但し、熱海まで全席指定席でしたので、実質、当時(2002年)の豊橋最終は、現在の2540Fとほぼ同じ、2406Fとなります。上りに関しては、下りと役割が異なる輸送体系となります。

現在、豊橋着1:01の2706F(5702F)が最終ですが、2002年は0:06着が最終でした。この後が372M(0:29-35)となります。

鉄道ダイヤ情報 2021年 02月号 [雑誌]
鉄道ダイヤ情報編集部
交通新聞社
2021-01-15



★165系時代はトイレに行くのもやっとな位の混雑
1994年、165系時代は完全自由席、グリーン車も自由席でした。11両でも大混雑な場合が多く、本来の大垣夜行と並行して、別の大垣夜行の臨時列車が運転されたほどです。主に、東日本車の充当で、高崎車や三鷹車の165系、167系でしたでしょうか。

兎に角、ムーンライトながらの指定席確保でさえも、難しい場合が多かったですので、自由席の165系でも、並行して夜行の臨時列車は当時でもありました。晩年は113系もありました。車両の都合でしょうか。

165系時代は、165系自体、ボックスシートと、夜行列車としては、お世辞にも快適ではありません。大混雑で、トイレに行くのもやっとでした。洗面所の水が出ず、兎に角「汚い、キツイ、危険」の3Kそのものでした。危険というのは、時々、スリや置き引きがあるのか、制服警察官が添乗する場合もありました。

373系時代は本当に快適です。但し、混雑しがちな列車に、防犯上の問題か、室内の照明は、383系「急行ちくま」のような、半減(夜間照明)はなく、終日点灯でした。


★183/183系と、185系時代は、乗車する機会には恵まれず…
2009年以降は、上京する事も殆どなく、新幹線ばかりでした。一度、185系時代で、きっぷも取得した位でしたが、予定変更となり取消・払戻でしたので、乗車することはありませんでした。上京自体は変わらずでしたが、奈良交通の夜行バスの利用でした。

373系時代は20代でしたが、2009年以降は30代、年齢の影響かは分かりませんが、若い頃よりも夜行列車に対する体力、好奇心も薄れたように思います。処々の環境の変化は、マイナスにも影響しますかね。


兎に角、夜行の快速列車の旅行は、ほぼ、不可能になった感じがします。サンライズや瑞風、銀河のように、相応の料金を支払う必要もありますかね。


また、373系時代よりも、現在は、安くて清潔なビジネスホテルも多くなりました。夜行列車で移動するより、こうしたホテルで一晩の方が、色々と楽ではありますが、それ以上に、世界中のコロナの終息を願いたいものです。